日本人の宗教性

四国お遍路の53番札所の愛媛県松山市の圓明寺。そこにマリア像像があります。その前には鳥居と神社のみやしろ。お寺の境内には神社があるのは珍しくはありません。神仏習合であります。このお寺では、仏教、神道キリスト教が仲良く一つのお寺に。見事に日本人の宗教性を表現しています。神道にしろ、仏教にしろ、キリスト教にしろ神は共通でありその現れ方が違うだけなのだ。

 

宗教について日本人は概して寛容です。しかしながら、永い歴史の中では不寛容さが出てしまう出来事も起きています。キリスト教が日本に伝えられたのは16世紀中期です。しかし、その後の豊臣秀吉徳川幕府の時代は禁止されます。学校では、単にバテレン追放令が発布されましたと教えるだけで、キリスト教徒に帰化した日本人が神社やお寺を破壊し日本人を拉致して奴隷として売り飛ばしていたことは教えません。生徒にはマリア様の絵が躊躇なく踏めるかどうかで隠れキリシタンを炙り出す徳川幕府の野蛮性が印象付けられます。第二次世界大戦戦勝国は不都合な事実は隠そうとします。

 

禁止令が出ていた徳川期でもキリスト教を信仰している人々はいたのでしょう。ある寺では人道的な理由から彼らを庇護したのでしょう。または、キリスト教徒による狼藉が落ち着いていた時期になるとキリスト教もお目溢しを受けていたかも知れません。

 

明治期、急速に近代化を目指す日本は西洋諸国での社会のあり方までも自国に取り入れようとします。その一つが「廃仏毀釈令」です。ヨーロッパ諸国は、原則としてキリスト教国以外の宗教を認めていません。原則国教を神道一つに定め、仏教を否定し始め、仏教の僧侶に神道の神官になるよう要請したり仏像を破棄させました。これも、明治政府にとっては黒歴史ですので学校では教えません。

お遍路をしているとこの件はよく耳にします。

 

皮肉にも、この流れに歯止めをかけたのは、日本の大学で教鞭をとっていたアメリカ人教授のアーネスト フェリョノサでした。彼は仏教美術の価値を説き政府に対しこれらを保護するように働き掛けたのです。彼の教えを受けた一人が、岡倉天心です。そして、圓明寺の像がマリア像であることを突き止めたのもアメリカ人教授のフレデリック スターでした。1920年代のことでした。徳川期にはキリスト教はご法度でしたので一眼でそれと分かってはよろしくありません。

 

さて、日本人は年の初めに神社に参拝し、お葬式はお寺で行い、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うと揶揄する人もいると思いますが、言い返してください。クリスマスは古代ケルトに由来しますから。